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福岡地方裁判所 昭和32年(わ)937号 判決 1958年2月10日

被告人 梶谷一巳

主文

被告人を懲役二年に処する。

未決勾留日数中百日を右本刑に算入する。

押収にかかる短刀一振(証第一号)はこれを没収する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は昭和二十八年頃から福岡市千代校区田町五組の現住居に居住し現在に及んでいるものであるが、路地一つ隔てた隣家の五十嵐昇の実母エイが平素口矢釜しく被告人の行動に文句を言い、同人の悪口を近所にふれ廻つたりするので快く思つていなかつたところ、偶々昭和三十二年九月十四日午後三時頃右五十嵐昇方の小犬に吠えられ洗面器の水をかけたが、同四時頃外出先から帰宅した右五十嵐エイがその事情を他より聞知し、被告人に聞えよがしに右行為を非難し、更に被告人の家庭の状況等について迄悪口しているのを聞くや、同日正午頃から焼酎三合位を飲んでいた酒勢も手伝つて憤慨し、午後五時頃前記五十嵐昇宅前に出て行き、右エイと激しく口論し、その際同女から「お前は女や年寄としか喧嘩しきらんのか」と言われ、一旦自宅へ引きかえしさらに焼酎二合位を飲んだがその憤懣の情を抑えきれず、予てから被告人が所持していた短刀を示し、同女を一喝して脅迫しもつて右憤懣の情をまぎらわせようと考え、同日午後九時頃右短刀一振(刃渡り二十六、五糎位)(証第一号)を携えて前記五十嵐昇方入口前に至り「婆出て来い」と右エイを呼び出したところ、同女に代り右昇が出て来たので、同人に対し前記昼間の出来事を聞いたかと詰問したが、同人が知らぬ旨答えたので、遂に激昂の余り或いは死ぬかも知れないことを認識しながら、敢へて所携の右短刀を右手に握り右昇の右斜前から同人の右下腹部をめがけて一回突き刺し、そのまま同人を押して行き、同人が被告人の突き出した手首を押えて後退する際蹉いて仰向けに倒れるや、同人の身体に馬乗りになり更に突き刺そうとしたが、同人ならびに折から同人の安否を気遣つて飛出して来た同人方家人に阻止されたため、同人に対し腹膜を破り腹腔内に達する治療約五週間余を要する腹部刺傷及びそれに基く腹腔内出血並びに廻盲部腸管損傷の傷害を与えたに止まり殺害するに至らなかつたものである。

なお被告人は本件犯行当時前記飲酒に因る酩酊のため心神粍弱の状態にあつたものである。

(証拠の標目)(略)

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法第二百三条、第百九十九条に該当するので所定刑中有期懲役刑を選択し、被告人は本件犯行当時心神耗弱の状態にあつたものであるから同法第三十九条第二項、第六十八条第三号により法律上の減軽を為し、その刑期範囲内で被告人を懲役二年に処することとし、但し同法第二十一条を適用して未決勾留日数中百日を右本刑に算入し、なお押収にかゝる短刀一振(証第一号)は判示犯行の供用物件で被告人以外のものに属しないから同法第十九条第一項第二号、第二項によりこれを没収することとし、訴訟費用は刑事訴訟法第百八十一条第一項但書を適用して全部被告人に負担させないこととする。

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人は被告人は本件犯行当時飲酒酩酊のため心神喪失ないしは心神粍弱の状態にあつたと主張するので、前掲各証拠により考察するのに、被告人は本件犯行当日の正午頃焼酎約二合、午後三時頃同約一合、午後五時頃同約二合以上(合計約五合)を飲んで居り、且右午後三時頃以降の各飲酒時には前記摘示のとおり五十嵐方の小犬に吠えられ或は五十嵐エイの被告人に対する悪口を聞く等被告人の感情を相当強く刺激する事態が発生していたことが認められ、右事実と被告人の平素の酒量及び被告人は平素相当飲酒している際感情を刺激する事態が発生すればいわゆる人が変つた様な状態になつて家人に対し乱暴していた事実並びに被告人の本件における判示言動自体等を綜合すれば、被告人は判示飲酒による酩酊のため本件犯行当時正常な精神状態になかつたことを窺知することができる。併し、右飲酒時より犯行に至るまでの時間の経過や、被告人が本件犯行前後における自己の言動及びその経過に関して相当具体的に供述している点並びに五十嵐エイ、同和子、同昇(二回)、牧治夫の各検察官に対する供述調書中被告人の酩酊情況に関する供述記載等を考え併せると、被告人は本件犯行当時事物に対する是非善悪を弁識し又はこれに従つて行動する能力を全然喪失していたものとは認め難く、事物に対する弁識能力はなお相当程度に存していたが、いわゆる抑制的な精神作用の減退により、その弁識した所に従い行動する能力において通常人に比し著しく減退した状態即ち心神粍弱の状態に在つたものと認めるのが相当である。従つて弁護人の前記主張中心神喪失の点はこれを採用しない。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 吉田信孝 村上悦雄 前田一昭)

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